審査員
JUDGES
アルファベット順
※審査員は予告なく変更になる場合があります。
ウンヨン・アン
PITTSBURGH BALLET THEATRE SCHOOL
韓国ソウル市出身。ワシントンDCのキーロフ・アカデミーで6年間に亘り、オレグ・ヴィノグラードフ監督に師事、ワガノワメソッドでの修了証書を取得。卒業後ソウルに戻り、ユニバーサルバレエに入団してソリストとなる。2002年、ベルリン国立バレエ団にデミソリストとして入団。2007年アメリカンバレエシアターに移籍し、2013年に現役を引退。レパートリーはラ・バヤデール、くるみ割り人形、眠りの森の美女、白鳥の湖、ジゼル等のクラシック作品のソロや主役に加え、ジョージ・バランシン、ナチョ・ドゥアト、オハッド・ナハリン、アレクレイ・ラトマンスキー、クリストファー・ウィールドンの作品も演じる。ユニバーサルバレエ・アカデミー、バレエアカデミー・オブ・ピッツバーグでプロダンサーや生徒のコーチ、指導を務める。ABTナショナルトレーニングカリキュラムの資格を取得。ピッツバーグ・バレエシアター・スクール初の学生指導部門の第一責任者となる。
ジェイソン・アンブローズ
SAN FRANCISCO BALLET
バージニア ビーチ バレエ アカデミーでバレエを始め、更にピッツバーグ バレエ シアター スクールでトレーニングを積み、ボリショイ バレエ アカデミーとワシントン D.C. のキーロフ ・バレエ アカデミーの年間およびサマープログラムに全額奨学金で参加した。彼の振付作品は、毎年開催されるダンス アゲインスト キャンサー ベネフィット ガラ (NYC)、ヴァレンティーナ コズロバ国際バレエ コンクール クロージング ガラで上演された。2020 年ローザンヌ国際バレエコンクールの第2位受賞者のコーチを務め2020 WBAC グランプリで優秀指導者賞 を受賞、「Pointe」と「Dance Magazine」で紹介された。アメリカ各地のバレエ団やスクールのゲスト講師および振付家として招待を受け、テキサス州フリスコのネクストステップダンスパフォーミング アーツ センター、オンタリオ州オークビルのカナディアン ダンス カンパニーのバレエディレクターに就任、2021 年、サンフランシスコ ダンス フィルム フェスティバルでは審査員を務めた。アフリカ系アメリカ人として初めてオレグ・ ヴィノグラードフの招待で、ロシアサンクトペテルブルクのバレエ マスター、振付家の学位プログラムに入学、サンクトペテルブルク・コンセルヴァトワールで踊る機会も与えられた。現在はエリート クラシックコーチングにアーティスト・ イン・ レジデンスとして所属、サンフランシスコ・バレエスクールのチルドレン部門の校長を務める。
カトリン・バウム・ホーフェル
STATE BALLET SCHOOL OF BERLIN
ドイツ、シュプレンベルク生まれ。ライプツィヒ・ダンススクールで学んだ後、エリッヒ・ヴァイネルト・アンサンブルとベルリン・コミッシェオペラ(現在は国立ベルリンバレエ団に属する)にソリストとして入団しクラシック、コンテ、モダンダンスと多様なレパートリーを踊った。1999年、理学療法の研究を始め、2002年に修了。2007年、ベルリン国立バレエ学校で教師としてのキャリアをスタートさせ、2009年マンハイムの舞台芸術アカデミーでバレエ指導者資格を取得した。クラシックバレエ、レパートリーや体操競技を指導し、ベルリン国立バレエ学校、ベルリン・ユースバレエでは『星の王子様』、『海賊』、ウェイン・マグレガー、イリ・キリアン、マルコ・ゲッケなどの振付家作品の演技の指導にあたった。また、国立ベルリンバレエ団の公演に出演する生徒のリハーサル、国内外のコンクールに出場予定の多くの生徒の準備・コーチングを担当した。ブラジル、アメリカ、ポルトガル、ラトビアの国際コンクールやフェスティバルの審査員を務める他、イタリアではインテンシブスタディープログラムを教え、ソルトレイクシティのユタ大学、ニューヨークのアメリカン・アカデミー・オブ・バレエ等でのプログラムにゲスト講師として招待された。ベルリン国立バレエ学校では、指導者である傍ら、学校の運営にも携わる。
ダニエラ・ブソン
TULSA BALLET
国際的に著名な数々のバレエ団でプリンシパルやゲストを務めた後、タルサ・バレエ副芸術監督に就任する。イタリアのバレルモ生まれ。ジャック・ベルトラミに師事し、卒業と同時にエフゲニー・ポリアコフ監督のもとフィレンツェのマッジオ・ダンスに入団。1983年、ベルリン・ドイツ・オペラにソリストとして入団後、イギリスのノーザン・バレエ・シアターにプリンシパルとして招かれる。その翌年、イングリッシュ・ナショナルバレエ、スイスのバーゼル・バレエ、モントリオールのグレート・カナディアン・バレエ、シンシチ・バレエ、バレエ・ウエスト、バレエ・アリゾナ、イタリア、パレルモのテアトロ・マッシモなどのバレエ団でゲスト出演する。後に夫であるマチェロ・アンジェリー芸術監督のもとプリンシパル・ダンサーとしてクラッシックバレエのみならず、有名な振付家によるコンテンポラリー作品の主役を数多く務めた。引退後、タルサ・バレエのバレエ・ミストレスに就任。
ペドロ・カルネイロ
CROATIAN NATIONAL THEATRE, SPLIT
リスボンのグルベンキアン・バレエスクール在学中にシュトゥッガルトのジョン・クランコ・スクールへの奨学金を獲得。その後、ハーゲン市立劇場、ボン歌劇場、リスボン国立バレエ団でキャリアを重ねた。ダンサー引退後は指導者の道に進んだ。サンクトペテルブルグのワガノワアカデミーで教授法を修め、またISCTEリスボン大学にて経営学修士号も取得。1995年から2018年まで、リスボンのナショナルコンサルヴァトリーでクラシックのみならずキャラクターダンスも指導。その間の2003年から2017年には校長として同校の国際的評価向上に貢献。その後、2020年から2022年にはドイツ及びベルギーの学校にて芸術監督、2022年11月から2023年6月まで、ジョージア国立バレエ団のマネジャー兼バレエマスターを務めた。2023年7月、クロアチア国立バレエ団の芸術監督に就任。現在も多数の国際コンクールにて審査員を務め、世界各地において精力的に指導を行う。
デボラ・ヘス
CANADA'S NATIONAL BALLET SCHOOL
ニューヨーク生まれ。ヴァレンティーナ・ペレイアスラヴェク、キャサリン・クロフトンに師事。ルドルフ・ヌレエフと共にクラシックバレエの主要な役や、ブロニスラヴァ・ニジンスカ、ラー・ルボヴィッチを始めとする振付家の作品を、ヨーロッパ全土で演じたのち、指導者の道に進む。カナダナショナルバレエスクールの上級教員であり同校の交換留学生プログラムの責任者。カナダに移住する前は、サンフランシスコバレエスクールで指導し、監督補佐を務める。ボストンバレエ、シンシナチバレエ、ミシシッピのジャクソン国際バレエコンクール、ナショナルバレエオブカナダ、デンマーク王立バレエスクール、ジェイコブズピローダンス等に招待され指導にあたる。
カナダナショナルバレエスクールを代表し、数々の著名な国際バレエコンクールで審査員を務める。ジャパングランプリ2003年の創設以来審査員として参加している。
タマラ・キング
BOSTON BALLET SCHOOL
2004年よりボストンバレエスクール・ニュートンスタジオ校⻑及び同校サマープログラムの指揮を務め、2020年、ボストンバレエスクールの校⻑に就任。在職期間中ニュートン校は、クラシックバレエプログラムの中核となった。1981年、当時の監督ブルース・マークス率いるユタ州ソルトレイクシティのバレエウエストに入団。眠れる森の美女、ジゼル、くるみ割り人形等の古典作品に加え、フレデリック・アシュトンやジョージ・バランシン作品をプリンシパル、ソリスト、コール ドの幅広い役を演じた。1987年から1993年に引退するまでボストンバレエに所属、再びブルース・マークス監督の下で活動した。キーロフバレエ(現在はマリインスキーバレエ)のコンスタンティン・セルゲイエフとナタリア・ドゥジンスカヤによる「グラスノスチ」白鳥の湖に出演し、またバランシン作品のレパートリーも増やしていった。
マリアンヌ・クルーゼ
SCHOOL OF THE HAMBURG BALLET – JOHN NEUMEIER
コペンハーゲン生まれ。ジョン・クランコよりシュトゥットガルトのカンパニーに招待されるまで、スカンディナヴィアンバレエに所属していた。シュトゥットガルトで、ジョン・ノイマイヤーに出会いその後数十年に渡り密接に仕事をする。ジョン・ノイマイヤーは彼女のために『ハイク』と『セパレート・ジャーニーズ』を創作した。その後フランクフルトに行き、ノイマイヤー作品、ロミオとジュリエットのジュリエット、くるみ割り人形のマリー、ダフニスとクロエのクロエなどを踊る。1973年から1985年までハンブルグでノイマイヤーのプリンシパルダンサーとして彼のオリジナル作品を踊り、ジョン・クランコ、ジェローム・ロビンズ、アラン・ビエリの作品で主役を演じた。シュトゥットガルト、ミュンヘン、コペンハーゲンでゲスト出演。引退後、バンブルグバレエ学校の教師となり、後2013年まで、同校の校長兼副芸術監督を務め、2014年よりゲスト講師となる。最近、シュトゥットガルトシアターハウスで、エゴン・マドセンのバレエ作品、グレイハウンズに出演する。
キミー・ローウェンス
ROYAL BALLET SCHOOL ANTWERP
韓国生まれ。ベルギー人の両親の養子となり、王立アントワープバレエスクールでバレエを学ぶ。卒業後、ベルギー王立ロイヤルフランダースバレエ団とバーゼルバレエに所属し、ジョージ・バランシン、ナチョ・ドゥアト、ハンズ・ファン•マネン、ポール・テイラー、ウィリアム・フォーサイス、モーリス・ベジャールの作品を演じた。引退後、アントワープのハイヤー・インスティチュート・フォー・ダンスアンドダンス教育学で学び、学位を取得。1993年より、ベルギー王立アントワープバレエスクールで教え始め、2003年、同校の芸術監督に就任する。若いダンサーの育成に専念するため2009年に監督を辞任し、同校より国際コンクールに出場する生徒のコーチ、準備に携わる。アントワープのロイヤルコンセルバトワールの客員としてダンス方法学を教え、国際バレエセミナーの講師、プロフェッショナルバレエスクールの卒業試験官、ローザンヌ国際バレエコンクール、ベルリンダンスオリンピックの審査員、イタリアの「フォルマシオネ・テルプシコラー・アート&バレエ」のマウロ・ディ・カンディアに協力、ルーヴェン大学で客員講師を務めるなど多方面で活躍する。「コーチング・エッセンシャルとプログレッシブバレエテクニック」の指導資格免許がありベルギー国内外でバレエ教師たちを対象にセミナーを行なっている。
ディミトリ・マギトフ
JOHN CRANKO SCHOOL OF THE STUTTGART BALLET
キエフバレエ学校でバレエを学んだ後、モスクワのバレエアカデミーで研修し1992年卒業。1992年~1995年、モスクワ国立劇場と契約する。シュトゥットガルト•バレエ団に1996年~1997年コール・ド・バレエ、2004~2005、準ソリストとして所属。同バレエ団では、じゃじゃ馬ならしのホルテンシオ、法悦の詩のヴィジョン、パゴダの王子(ジョン・クランコ作品)、眠れる森の美女(マリシア・ハイデ/プティパ作品)の王子などを演じる。更に、フレデリック・アシュトンのモノトーンズ、ジョージ・バランシンの四つの気質、モーリス・ベジャールのゲーテ・パリジェンヌ、グレン・テトリーのヴォ ランタリーズ、ハンス・ヴァン・マネンのクライネス・レクイエム、イリ・キリアンのステッピング・ストーンズ、マトジャシュ・モロゼスキーのアバター、ハンス・ヴァン・マネンのメタファー、マルコ・ゴッケのブラボー・チャーリー他多くの作品に出演。 2010年より、ジョン・クランコ・スクールの教師を勤める。
ゲナーディ・ネドヴィギン
ATLANTA BALLET
ゲナディ・ネドヴィギンは2016年2月、87年の歴史を有するアトランタ・バレエ4代目芸術監督に任命された。ロシアのロストフで生まれ、5歳でバレエを始め、10歳でボリショイ・バレエ学校に入学した。卒業後はモスクワ・ルネサンス・バレエ団のソリストとして活躍、その後パリのジュヌ・バレ・ド・フランスに招待された。1997年、アメリカでのツアー中にサンフランシスコ・バレエ(SFB)の芸術監督ヘルギ・トマソンよりソリスト契約を提示され入団、3年後プリンシパルダンサーに昇格した。SFB在籍中、1999年に開催された国際コンクールでエリック・ブルーン賞を受賞、更に2001年、2010年、2017年に3回イザドラ・ダンカン・ダンス賞を受賞した。その間、数多くの著名な振付家と共に仕事をする機会に恵まれた。ダンサーとしてのキャリアに加え、芸術監督就任前はアメリカ及び海外で、マスタークラスの指導やバレエのステージングに携わった。最近では、オーランドで開催されたワールドバレエコンペティション、ミシシッピ州ジャクソンで開催された国際バレエコンクールなどの審査員を務めた。ネドヴィギン指導の下、アトランタ・バレエはアカデミーのトレーニングプログラムを設け、一流のパフォーマンス・アンサンブルであるアトランタ・バレエ2を創設、次世代のプロダンサーの育成に取り組んでいる。
フレデリック・オリヴィエリ
ACCADEMIA TEATRO ALLA SCALA
生まれ故郷のニースのミュージック アンド ダンス コンサバトリー卒業。1977年、ローザンヌ国際バレエコンクールで優勝、パリ・オペラ座バレエ学校への入学資格を与えられた。1978年、パリ・オペラ座バレエ団に入団、1981年ソリストに任命され、全レパートリーで主要な役を踊った。 1985年、自身も設立に携わったモンテカルロ・バレエ団に入団、カロリーヌ・ド・モナコ妃の御前でエトワールの称号を与えられた。1986年、レオニード・マシーン賞受賞、1992年にはモナコのレーニエ大公より文化功労勲章を授与された。 1993年ハンブルグ・バレエ団に入団、プリンシパルとして活躍し、現役を引退した。 1996年から1998年までフィレンツェオペラ音楽祭のバレエマスターを務め、その後チューリッヒバレエのバレエマスターに就任。2000年、フィレンツェのマッジオダンツァ・テアトロ・コムナーレ芸術監督に就任。2002年から2007年まで、スカラ座バレエ団の監督を務め、2003 年よりスカラ座バレエアカデミー監督を兼任した。2006年10月にはスカラ座バレエスクールの校長も務めた。2005年7月、フランス文化省より芸術文化勲章を授与された。2016年10月から2020年12月まで、再びスカラ座バレエ団の指揮を任された後、同バレエ団のエアカデミー監督に復帰した。
ロバート・パーカー
ELMHURST BALLET SCHOOL
英国のキングストン・アポン・ハル生まれ。ロイヤル・バレエスクールで学び、1994年、バーミンガム・ロイヤルバレエに入団した。当時のピーター・ライト監督のもと、1999年、プリンシパルダンサーに昇格し、芸術監督であり振付家としても定評のあるデビッド ・ビントレーと多くの主役作品を共同創作した。英国ロイヤル バレエに客演、世界中の多くのガラに出演した。功績が評価され、2001 年のオリヴィエ賞のノミネート、2003 年批評家協会賞では、傑出した男性アーティストに贈られる賞を受賞した。
教育哲学修士号を取得、2012 年、アーティスティック リーダー志望者のための Rural Retreat の参加者に選出された。バーミンガム・ロイヤルバレエを引退した後、RAD プロフェッショナルダンサーズティーチングディプロマを優秀な成績で取得、同年、ロンドン・バレエ協会の会長に就任した。2012 年秋、エルムハースト・バレエスクールの芸術監督に就任、ゲストとしてバレエ団などで指導にあたり、世界中の国際バレエ コンクールで審査員を務める。
メラニー・パーソン
THE AILEY SCHOOL
エイリー・スクール監督。全米ダンス・スクール協会理事。コロンビア・シティ・バレエで公演活動をする傍、カルバート・ブロディー・スクール・オブ・ダンスで初期のトレーニングを受ける。1977年から1988年にかけてダンス・シアター・オブ・ハーレム(DTH)に所属し世界中で公演し、幅広いレパートリーを披露。2002年、ニューヨーク•エンパイア・ステートカレッジを卒業、文学士号を取得。現在は、米国舞踏学校協会の理事として派遣審査員を務める。2009年よりジャパングランプリの審査員を務めている。
ライモンド・レベック
KARLSRUHE BALLET
ベルリン生まれ。ベルリン国立バレエ学校において、マーティン・パットキに師事。ベルリン、ウンター・デン・リンデンと、ドイツ・オペラのプリンシパルを務める。ローザンヌ国際バレエコンクール、ヴァルナ国際バレエコンクール他 、ベルリン評論家賞、 エッセン・アールト賞、2002年ドイツ・ダンス評論家 賞など数々の賞を受賞する。2005年から2008年にわたり、エッセンのアールト・バレエ・シアターの初代バレエマスター、芸術監督補佐を務めた。国際 的に振付、バレエガラの企画に携わりながら、エヴァ・エフドキモヴァ、 イリ・キリアン、イヴェット・ショヴィレ、ウイリアム・フォーサイスなどの卓越したアーティストと共に仕事をし、中でもモーリス・ベジャール、ルドルフ・ヌレ エフの作品の多数の主役に採用された。2012年、バレエ・ドルトムントのバレエマスターに就任、2014年より、NRWドルトムントジュニアバレエ団の芸術監督、振付家を務めた。2023年9月、ドイツのカールスルーエバレエの 芸術監督に就任予定。
ビクトリア・シュナイダー
THE HARID CONSERVATORY
イタリアフロレンスのラ・スクール・ディ・ダンザの主教員。亡夫、ジューゲン・シュナイダー(元アメリカンバレエシアター、バレエマスター)とオーストラリアバレエ学校のジャニナ・クノーバのもとでロシア式バレエ教授法を学ぶ。 タンパ・バレエ学校の創設者および監督。マーティン・フリードマンの指揮下でタンパ・フロリダバレエのバレエミストレスを務める。サンクト・ペテルスブルグのワガノワバレエ学校で方法学課程を卒業、同校認定教師。 ハリッド・コンサーバトリーで指導に当たった生徒の多くは、プリンセス・グレース賞受賞、ローザンヌ国際バレエコンクールで入賞するなど、優秀な成績を残している。
アダム・スクルート
BALLET WEST
ジョフリー・バレエに入団しキャリアをスタートさせた後、同団のアソシエイト・ディレクターへの昇格を果たした。2007年にバレエ・ウエストの監督に就任、バレエ団及びそのアカデミーの発展に寄与した。具体的な貢献としては、カンパニーの新作発表、ワールドプレミアの上演、ツアー数の増加等による知名度の向上が挙げられる。バレエウエストにおけるリーダーシップの下、財政的成長と芸術的レベルの向上の両面において大きな成果を上げ、CWネットワークのドキュメンタリードラマ「Breaking Pointe」の題材となり、2シーズンにわたって放送された。2016年9月から2017年10月まで、CEOと芸術監督を兼任した。「ユタのエンライテンド50」(2014年)、ユタ州および国への奉仕に対し贈られるブロンズ・ミニッツマン賞(2015年)、多様性への率先した取り組みが評価され、ディバーシティ・コネクション・ビジネスアワードなど多数の賞を受賞した。最近では、クラシックバレエにおける公正性と包摂性を促進する取り組みに対して、デザレット・マガジンより、25人のチェンジメーカーの一人に選ばれた。
ゲイリー・トリンダー
NEW ZEALAND SCHOOL OF DANCE
イギリス生まれ。ロイヤルバレエスクール、ランバート・バレエスクール、モーリス・ベジャールMUDRAでバレエを学ぶ。スコティッシュ・バレエ、モントリオールのグレート・カナディアン・バレエ、ロンドン・シティバレエでダンサーとしてのプロ活動を行う。6年間に亘り香港バレエ芸術監督、その後2年間南アフリカのNAPACダンスカンパニー監督。1998年、ニュージーランド・スクールオブダンスの監督に任命される。ラバン・センター(現トリニティ・ラバン・コンサヴァトワール大学)の修士号を取得。イギリスのニューカッスル大学にて教育学のアドバンスディプロマ取得。NZSDの監督を務める傍らスイスのローザンヌ国際バレエコンクール、2011年より香港のアジアグランプリ・バレエコンクールにて審査委員長を務める。2013年、ダンス界への貢献が評価され、ニュージーランド・メリット勲章を授与される。
オリヴィエール・ヴェルクテール
BALLET ACADEMY UNIVERSITY OF MUSIC AND
PERFORMING ARTS MUNICH AND BAVARIAN JUNIOR BALLET MUNICH
フランス、ワットルロー生まれ。シュツットガルトのジョンクランコスクールでバレエを学ぶ。卒業後、シュツットガルトバレエ1995年、ミュンヘンのバイエルン国立バレエに入団。1996年、ベルリン・ドイツ・オペラに移籍するが、1999年バイエルン国立バレエに再入団し、2004年にソリストに昇格。ウイリアム・フォーサイスの『肢体の原理』、イリ・キリアンの『スタンピンググラウンド』、プティパ・ゴルスキーの『ドン・キホーテ』、ジョン・クランコの『ロミオとジュリエット』、ハンス・ファン・マネンの『カンマ―バレエ』、ヤコポ・ゴダーニの『アフターダーク』、ジョン・ノイマイアーの『幻想、白鳥の湖のように』などに出演する。ダンサーとしての20年に亘るプロ活動を2012年に終える。2008年から2010年ドイツ国立ミュンヘン音楽大学バレエアカデミーでバレエ教育学を学ぶ。現在は、ミュンヘンバレエアカデミー古典舞踊の教授、バイエルン国立バレエIIのバレエマスターを務める。